雨月の夜に、灯を消して。

精神科に通いながら推しを推す成人済女の寝言。

板挟みyeah

正気を保つために、正気とは思えないことをしている。

自覚はある。

けれどやめられない。

 

わたしはきっと羨ましいのだろう。

素直に口にできる人が。

思っていることを。不安を。不満を。

誰かに打ち明けて、誰かに素直に助けを求められる人が。

受けとめてもらえると信じきれることが。

 

でも、わたしにはできない。

したくない。意地なのかもしれない。よわむしなだけだとも言えるけれど。

だってこわいもん。

拒否されたらどうする?

不安や不満、不調を押しつけられることが重いことは、わたしだってよく知ってる。なのに同じことを、他の誰かにすることはできない。

今のわたしが逃げたいと思っているように、ほんとうは拒否したいと思っているように、こころのなかで思われていると想像することがこわい。

 

 

つかれたなあ。

もう、にげてもいいかなあ。

じぶん、に現実味がない毎日。

起きて朝ごはんを食べたところで記憶が途切れて、気がついたら布団のなかで寝ていた。
同じようにごはんを食べて服薬したところまでは覚えているけどそのあと数時間記憶がなくてまた布団で寝ていて、どうもその間に洗濯物を干していたらしい。
(母に聞いて後々ぼんやり思い出した)


ちょうど睡眠薬を強くしたところで、だから効果が残っていて寝落ちした。
洗濯は寝ぼけていた。
そんな風に解釈していて、ただだとしたら弱めてもらおうか…と先日の受診時、主治医に相談してみると、

「解離を起こしているんじゃないかな」

と、予想外の返答。
ただ、解離、のワードで、すとん。と落ちるところもあった。

なんで洗濯やねん、と思わないこともなかったけれども。苦笑

今まであった感覚。
うまく説明ができなかった感覚。
調べてみて読んだ症状は、わたしが言語化できないことを言語にしてくれていた。


だからといってなにかが解決するわけじゃないけれど、でも、もやもやが言葉になると、すっきりするもんなんだなと思った。

あとはあれですね、もしかして自覚していないだけで、これまでもなにかをやらかしている(洗濯ならいいけど)可能性があるのがこわーい…
知らぬが仏…。

 

誰かに迷惑をかけていないといいな、と願うしかないですね…。

矛と盾

○日にあそこに行く約束をした

★月のあれ観に行きたいチケット取らなきゃ!

◇月に人と会う約束した楽しみ

♡月に受注したグッズが届くぞー!

 

そうやって先々のたのしみな予定を立てたり約束をするのに、正反対な行動ばかりしている。

 

ほことたて。

ほこたて。

矛盾。矛盾ばかりの日々を過ごしています。

 

 

やだな。かまってちゃんみたい。

かまってちゃんになりたくないから、自分のなかに必死に飲み込んで、飲み込んで、いらんものまで飲み込んで、ぐわんぐわんして。

おなかがいたい。

なにも考えたくなくて、腕もいたい。

 

 

なんでもこなせる、そして笑ってる、ロボットになれたらいいのにな。

 

かまってちゃんみたいだね。

うつつ。

4/13 20:00頃

昨晩からぼけーっとしていた頭がようやくすっきりする。

(余計なぶんの)薬がやっと抜けたのか

もしくはやっと薬が効いてきたのか

全然別の要因なのか

 

原因がわかってるけれど逃れられないこと、に立ち向かうのはしんどいことですね。

いや、世の中の大半のかたは立ち向かっているのだろうけど…。

話を聞いてくれた誰もかれもが「罪悪感を抱く必要はない」「自分を守るための嘘は悪いことじゃない」と言ってくれた。

 

でもやっぱり、そこで踏ん張れないわたしを、わたりは許せないし責めるのだろう。

 

嘘、のすべてが悪いとは思わないし、

必要な嘘もある。

けれど、じゃあ、今回自分がついた嘘は必要だったかといえば、自分ではそうは思えない。いや正確に言えば、必要だったと思う自分と、責める自分、両方いる。

 

 

なんだか、日々のいろいろなことを、自分が過ごしている日々だと思えずふわふわしています。

 

まずは三か月、って言われたけど。

先生、やっぱり三か月って、長いですね。

いち、からいちに。

閉鎖病棟からシャバ(笑)に出て、気がついたらひと月経っていた。

早かったような、そうでもないような、不思議な感覚です。あまり現実味もなく、ふわふわしている感じ。

 

現状としては、入院前と大きく改善した部分はないし、むしろ問題が洗い出されて向き合わなければいかないことが増えたような気もする。

復帰するはずだった仕事のようなものにも行けないままの日々です。

…一歩進んで三歩下がった、感じ。

 

 

四月一日、朝早く街に出たら、新入社員のような人たちがたくさん歩いていた。

わたしにはないもの。わたしができなかったもの。自業自得だけれど、眩しくて、眩しくて、直視できなかった。

 

 

 

 

…そんなこんなで落ち込んだりしつつも、改善した部分はなくとも得たものはあったので、わたしはきょうもとりあえず生きています。

 

「とりあえず三か月、おうちでがんばってみて」

 

は、退院前の担当医の言葉ですが。

そのときは三か月かー長いなーとか思ったけれど、ひと月経ってみるとそうでもないような気もしますね。

ここからが長いのかな。

家族も、わたしも、まだ距離感を模索していて、ぶつからないように、ぶつからないように、と過ごしているけど、時間が経つと緊張も緩む…そのときに、冷静でいられるか。

 

得たもの。

誰かに、きちんと助けを求めること。

 

それらを忘れないようにしたい。

 

 

きょうも一日生きた。

とりあえずはそれでいい。

52ヘルツのクジラたち(町田そのこ/著)

「52ヘルツのクジラたち」(町田そのこ/著)を読み終えました。

 


なんて寂しくて、苦しくて、それでもひたすらにやさしくあろうとする。そんな物語だと思った。

愛、ってなんなんでしょうね。
人によってかたちは違うもので、正しいかたちなんてなくて(明らかに間違っているかたちはあるとは思ってしまいますが…)、ときにはそれがひどく人を傷つけてしまう。
けれど同時に、誰かを救うこともできる。


人が。
主人公であるキナコが。
キナコが出会った少年が。周囲に、そして互いに支えられながら少しずつ再生していく描写が力強く、うつくしいと思った。
喪失感も傷も深く残って消えることはなくて、だけどそれでも、できることがある。ひかりはどこかに、必ずあると、信じたくなる。

52ヘルツの、聴こえない声を発し続けるクジラ。
クジラの声に重ねられた、聴いてほしい、けれど聴いてもらえない。もしくは聴いてもらうことすら諦めてしまった声。

わたしは、誰かのその声に気づくことができるのか、正直自信はない。
だから、せめて。
52ヘルツの声でたすけてほしい、と必死に踠く誰かがいるということを、忘れないようにしよう。

そして、気がつくことができたときには自分のできる精一杯のことをしよう。


読んでよかった。
心からそう思える一冊でした。


購入の後押しをしてくれたおともだちに感謝!

せかいがもやがかってるから逃避。

昨日言ってもらったことをすでに忘れている。

正確に言うとぼんやりとは覚えているのに、詳細がつかめない。

 

手伝ってもらって、自分のなかでわちゃわちゃになっていた感情を少し整理して言語にして、だから大丈夫だって思ったのに、今日もわたしは動けなかった。

準備して、

早く寝て、

ちゃんと起きたのに。

 

 

そうなるともう、あとは甘えでしかない。

状況に、環境に甘えてる。

しっかりしないと。自分で決めたことくらい、きちんとやらないと。

 

もう一生このままのような気がして怖い。

自分の意思なのにね。

しろのせかい

入院初日。
一週間とか二週間とかでも、からはじまって、
三ヶ月ってあるけど、そんなにはかからないと思う!と言われ、


…三ヶ月弱。


とうとう退院です。
三ヶ月弱。実は閉鎖病棟という場所に入院しておりました。

長かったような。
短かったような。まあ、当初の予想よりはだいぶ長くかかってしまったわけですが(苦笑)

 

不安はあれど、前向きな自分も確実にいる。
そういう状態になれてよかったなあ。と思っています。
たぶん、些細なきっかけでまたぐるぐる思い悩むことになるとは思うけれど。

この期間で得たものを見失わないように。
そして、もう少し自分と周囲のことを冷静に考えられるように。なれたらいいなー…希望です。

もうね、すーぐぐーるぐーるしてしまいますから。
何度でも見えるかたちとして記しておかないと。
記しておいたってぐーるぐーる、ぐーるぐーる。自分で自分に呆れる(^-^;


優しいひとたちに出会えてよかった。
とてもひとに、出会いに恵まれた。そんな期間でした。

 

…ところで、この三ヶ月なにがあって、こんなに持ち帰る荷物が増えたの?自分よ。

* *

までが、退院日の空き時間に書いたものになります。
とにかく落ち着かなくて、なにしたらいいかわからなくて…帰宅して数日。
この先どう物事が進むかはわからない、けれど、少しでもいい方向に進むように。

少しずつ、少しずつがんばります。